圧倒されそうな時どうするか!

Maria
March 17, 2004

勝利の鍵シリーズ

ストレス、プレッシャー、優先順序、戦い、そして克服することに関するカウンセル!

マリア  マリア #670 CM/FM 3481 10/03

愛する忠実な同労者の皆さんへ、

  1.このGNで、私たちの夫、主からの宝石を分け合いたいと思います。きっと大きな励ましとなり、もっと主の見方で見ることで肩の荷が軽くなると思います。私たちが引き続き成長し、成熟できること、主が預言で与えられる新鮮で生きたカウンセルを通して、もっと天国の見方で物事を見られるのは、とても素晴らしいです。ここにあるメッセージの抜粋は、他の人ために、他の人が受け取ったものですが、これが皆さんの祝福となるよう祈っています。愛しています!

  忠実に与え、絶えず共にいて下さる主にあって、愛を込めて、

  ママ

プレッシャー対ストレス

-その違いは?

(あるWSワーカーのための祈りと、彼への、またあなたへの主の答え!)

  2.(質問:)イエス様、仕事のプレッシャーは少しも減っていないようです。いつもたくさんのことが起こっていて、やることもたくさんあります。締め切りやプッシュやプロジェクトといった仕事の面だけではなく、特に今は、霊の内でもとても多くのことが起こっています。ミニストリーや締め切りといった普段のありとあらゆるプレッシャー以外にも、ホームの責任があって、時々少し圧倒されそうになります。

  3.どんなに頑張っても十分でないように感じるのです。いつもどこか至らない所があり、十分やり遂げることもできないと。また、十分あなたに近くもなれません。いつももっと頑張り、もっと達成し、もっと成長しなくてはなりません。

  4.私たちは、より良い弟子になり、もっと御言葉に生き、もっとあなたとの時間を取り、他の人のために祈り、他の人に手を差し伸べ、ホームがすべての面であるべき状態にあるよう助けることになっています。また、御言葉革命へのコミットメントを果たすべく働きかけ、すべての行動に御言葉を反映させることになっています。そして、スピリット・ヘルパーたちともっとチームを組んで働くことを学び、預言をもっと使い、鍵やその他の新しい武器の使い方を学ばなくてはなりません。

  5.でも、私は生身の人間なので、私がミニストリーやホームで持っている責任全部と、その他しなくてはならないすべてのことを果たしながら、さらにありとあらゆる重要な霊の事柄のための時間を取るというのは、人間の力では不可能に思えることがあります。

  6.私はこのすべてをしたいのです。主よ、本当です。でもただものすごい量で、手をつける気さえ起こりません。結局できないのだから、やる価値もないと感じるのです。時々ものすごいストレスを感じ、結局燃え尽きるか、いつかやめてしまいそうな気がします。でもそれは御心でないと知っています。ですから、どうか私に語り、これについてどうしたらいいのかを示して下さい。あるいは、ストレスやプレッシャーの原因について何か言われたいことがあればどうぞ語って下さい。

  7.(イエス:)愛する人よ、あなたを時々そのように感じさせているものは、実際、あなたの仕事上の難題やわたしのための生き方ではない。仕事や責任がそう感じさせているのではない。WSの労働倫理や、優秀な者となるためのコミットメント、毎日のワークレポートがそうさせているのでもない。また、断じて、御言葉革命や、霊的な物事が改めて強調されていることが、あなたをすり減らしているのでもない。これらはすべて、あなた自身のために、あなたを助けるために、多くの祈りやカウンセルを通して定められたのだ。それはあなたが人生において、適度なバランス、正しい優先順序、正しい見方を保てるようにするわたしの導きや基準であって、あなたが最終的に燃え尽きたり、投げ出したくなったりしないようにするためのものだ。

  8.わたしや、わたしがあなたに求めていることが、あなたをそう感じさせているのではない。一秒一秒まで時間の使い方を判断され、監視されるように感じるほどあなたをせき立てているのは、わたしではない。あなたは決して十分良くなれず、仕事も十分成し遂げられないと言っているのは、わたしではない。このようにあなたに重荷を負わせるのは、絶対にわたしのゴールでも計画でもない。それは確かだ。問題なのはあなたの生き方だ。ややもするとしがちな物の見方や、簡単に陥ってしまう間違った態度、思考パターンが問題なのだ。あなたには、間違った方法で物事をする癖がある。あなた自身の力でやる、肉のやり方だ。あなたはすぐに立ち止まって、あなた自身と仕事上の習癖をじっくりと見つめ、手遅れになる前に、違うやり方を身につけたほうがいい。いつまでもこのような状態で続けていけるわけがないからだ。

  9.わたしは、これらのものは全部あなたがそう思っているだけで、本当はやるべきことや、追いつくべき仕事もそれほど多くなく、実際、あなたの生活にはプレッシャーなど全くない、とは言っていない。もちろんプレッシャーはある。人生は難関とプレッシャーだらけだ。だが、あなたが正しく扱う限り、ある程度のプレッシャーは悪くない。それはあなたにとって良い。そして、あなたにはそれが必要であり、しかもそれに耐えられるとわたしが知っている時には、多少のプレッシャー以上のもの、さらには一度に様々な種類のプレッシャーに会わせることがある。

  10.プレッシャーは、仕事や責任という形によって生じるとは限らない。人生にはそれ以上のことがたくさんある。だから、あなたも経験したように、時にはプレッシャーとは、霊的戦いや苦闘、患い、個人的な試練、砕き、レッスンという形で生じることがある。あなたにとって、そういったことを扱うのは難しいかもしれないが、それらは皆、あなたの益になる。あるいは、少なくとも益となりうる。わたしが、あなたの人生やミニストリーに生じるのを許す様々なプレッシャーは、すべて目的があり、あなたのためになる。それらは、あなたの限界を引き延ばし、成長させるためのものだ。また、かけがえのない多数の貴重なレッスンを教えるためでもある。そして、わたしは、ちょっとした叱責という余分の刺激があなたの身に降りかかるのを許すこともあり、そういう叱責なしに普通あなただけでやる場合よりも、もっと達成でき、もっと実り豊かになれるようにする。

  11.一方、あなたもよくわかっているように、ある種のプレッシャーはあなたのためにならず、あなたにとって悪い。あなたがそれを許すなら、命にかかわることもある。わたしのくびきは負いやすく、わたしがあなたに負うように求める荷は軽い。だが荷が軽くなく、あなたにとって重荷となり、ストレスを感じ、荷が重すぎると感じているなら、どこかが間違っている。あなたが間違った方法でしているか、間違った見方をしているかのどちらかだ。

  12.プレッシャーは、それがどこから生じ、誰が課しているか、あなたがそれをどう扱うかによって、あなたにとって益ともなれば害ともなる。だが、神の御旨に沿うちょっとしたプレッシャーはあなたにとって益になるが、あなたの場合、ちょっとしたプレッシャーをはるかに超えた、かなりのプレッシャーを頻繁に味わっている。それは実際、重圧であり、ストレスだ。ストレスはどんな場合も益にならない。ほんの少しも! ストレスどんな場合も害であり、どんな場合も悪い実を結ぶ。ストレスは弱め、妨げる。そして最終的に、あなたの人生にわたしの目的が成就するのを妨げる。ストレスはあなたをひどい気分にし、その後あなたが向き直って他の人をひどい気分にさせる。ストレスは決して益とならない。決してわたしに栄光を与えない。ストレスは悪魔からだ。ストレスは、誤った種類のプレッシャーや、間違った動機、物事を間違ったやり方でやること、あるいは少なくとも正しいやり方で行っていないことの、直接の結果だ。

  13.難関や試練、困難、あるいはそれ以外の形による、あなたにとって慣れており、扱いやすいと感じる以上のプレッシャーに直面した場合はいつでも、これらのものがあなたの害になるのではなく、あなたの助けになるようにというのがわたしの計画だ。そして、それを正しく扱うなら、あなたの益になる。こうした余分のプレッシャーやテストの結果、自分の限界や弱点をもっとはっきり気づき、わたしにもっと必死にすがり、わたしにもっとより頼むようになり、わたしがあなたに与えた霊の武器や鍵、ヘルパーたちとチームを組んで働こうと努力するようになるならば、あなたはすぐに、自分が直面するすべての状況においてローマ8:28を見るようになる。

  14.だから、わたしはあなたに御言葉革命についてそれほども多くを語り、霊の世界の真相や、あなたの周りで起きている霊の戦争のことを教えたのだ。これらのものは、あなたを圧倒させ、ストレスで参らせるためではなく、ましてや、あきらめて、やってみる気さえなくすためのものではない。これらのものは、あなたが成長し、わたしにあってより強くなるのを助けるためにある。

  15.あなたを、有能なワーカー、またより能力のある弟子また宣教師にするために、わたしはプレッシャーを上げなければならなかった。あなたから霊的無気力を振り落とし、あなたを揺さぶってわだちから抜け出させるためだ。ある意味で、多少不快なこともあるだろう。さらには、紛れもなく困難なこともあるだろう。だが、それはあなたの益となるためなのだ。

  16.わたしは、あなたの生活や仕事(通常のものと、あなたの身に降りかかる予想外の試練やテストの両方)を通して、あなたに多少敬神的なプレッシャーをかける。するとあなたは、わたしに思い煩いを委ね、天の鍵の力によって塗油とわが霊の助けを求めることで、さっと向きを変えてそのプレッシャーをわたしに返す。そうするとわたしは、あなたにとって、できる以上のものを背負い込むこともなく、荷が重すぎてストレスになることもなしに、あなたが最後までやり抜き、仕事を成し遂げるのに必要なものを何でも与えることができるようになる。確かに言うは安し、行うは難しであって、これには鍛錬が必要だ。だが、あなたは弟子として、これ、つまり、わたしにあなたをより余すところなく所有させ、自分の力で行動しないという鍛錬を身につけることになっている。そして、それはあなたの生まれつきの性質であり、人の失墜の元でもある。

  17.プレッシャーには、わたしからのものもあれば、そうでないものもある。わたしからでないものは、単に、あなたが自分で背負い込んでしまった無理な要求だ。また時には、わたしには理由があってそのプレッシャーが生じるのを許したとしても、あなたがそれを正しく扱わない時もある。あなたは、わたしにあって十分休んでいない。わたしとの時間を十分取らないか、荷を負う助けをわたしにさせない。わたしの助けがあるなら、あなたにはその荷が負えるとわたしは知っているのに。何か予想外のことがあなたの身に降りかかるか、何らかの試練に見舞われると、わたしが求めた方法でする代わりに、あなたは自動的に「自己のわざ」モードに陥る。だが、実際それは「自己破壊」モードなのだ。あなたは腕まくりをし、押したり引いたり、その荷を持ち上げようと格闘し、自分の肩に載せ、重い足取りで自分の道を一人で行こうとする。

  18.あなたの動機は良くても、行動様式が間違っている。あなたは物事をやり遂げようと一生懸命頑張るし、良い仕事ぶりをしたい。あなたは祝福になりたいと願い、それがどんなに困難に見えても、何かを成し遂げているという感覚がほしい。そして、あなたは心から自分にこう言い聞かせている。いったんこれが終わったら、この大きな障害、締め切り、難関を切り抜けたら、あるいはこの重要で、厳しい仕事を何とかしたら、そうしたら手を休めてわたしとの時間を少し取れるようになり、もう一度「正しい方法」でやれるようになるだろう、と。

  19.あなたは最初からすぐに、わたしの所に来て、わたしの見方で物を見ようとせずに、敵にだまされ、そんなにもプレッシャーを感じてしまい、「自分の」責任だと思うあまり、当然すべきほど祈り深く物事をするための時間はないと感じる。そして、わたしに荷を委ね、信仰を築くわが言葉や約束で十分満たされる時間を取っていないので、そういう小さなプレシャーが少しずつ大きくなっていって、あなたの頭の中で拡大され、誇張され、ついにイライラや試練の原因となる。すると、あなたは消耗し、落胆し始め、最終的に圧倒されてしまう。これはあまり良い作戦ではない。わたしの戦闘の勝ち方ではない。これはむしろ、自殺ミッションだ。

  20.あなたがそのように行動する時、つまりわたしの所に来てわたしから聞かず、重荷や思い煩いをわたしに委ねるための時間を取らない時、敵はすかさずそれを利用して、すべてを大混乱に陥れようとする。物事を大げさに考えさせ、思いの中でそれを誇張する。そしてとうとう、知らず知らずの内に、仕事や問題がほとんど負いきれないように見えてくる。すべてが、本当にちっぽけなことも大きな山のように見えてくる。実際よりもずっと高く、険しくて登れないかのように。間もなくあなたは、自分があり地獄でもがいているだけで何も達成しておらず、ただますます深く泥沼に落ちつつあるように感じ始める。それは悪魔の罠、緑の戸だ! その道を行き続けるなら、落とし穴にますますはまるだけだ。炭坑労働者の歌「16トン」にあるように。

16トン積んでも何になる? 

年を取り、借金が増えるだけ。

聖ペテロ様、俺を呼んでも無駄ですよ。

この魂は会社の店に担保されてる。

  21.ところで「会社の店」とはWSやファミリーではない。敵の事だ。あなたに重荷を負わせ、押しつぶしたがっているのは悪魔だ。あなたを哀れなゾンビにしたいのだ。エネルギーも霊感も力も消耗し、疲れ切り、ストレスがたまり過ぎ、忙しすぎて、わたしとの時間さえ取れないゾンビにだ。そんなのはわたしのための人生ではない。わたしに言わせれば地獄だ! 悪魔からのものだ。それは、悪魔に耳を傾け、わたしではなく悪魔のやり方、肉的、人間的やり方で行った自分のせいなのだ。

  22.過労とストレスを感じ始めた時はいつでも、それは必ず、何らかの形であなたが本来従うべきほどわたしに従っていないためだ。人生のチャレンジや試練を正しい見方で見ていないか、正しい方法で対処していないかのいずれかなのだ。あなたは徐々に自分自身の最大の敵となっている。信じられないかもしれないが、あなたがやり方を変え、わたしの方法ですることを学ばない限り、最終的にはすべてのことについてとても否定的に感じるようになり、自分の仕事や召命や周りの状況、さらにはわたしのための人生そのものにさえ、憤りを抱くようになる。そして結局、わたしやあなたのシェパードや監督者のせいにする。そもそも、それはわたしたちのせいではないのに。

  23.ある程度のプレッシャーはなくてはならない。そうでなければあまり大したことは成し遂げられない。だが、あなたが荷を負いすぎ、ストレスで参って、完全に悲惨な状態になり、進み続けられなくなるまでにさせるのは、わたしの望みでもないし、願いでもない。わたしはあなたを愛しているし、あなたが必要だ! プレッシャーを正しく扱えるようにならないといけない。そうでないと、わたしがあなたの身に降りかかるのを許す新規のプロジェクトや新しいチャレンジ、新たなテストや患いがあるたびに、それもまた、潜在的「死因」、自殺ミッション、16トンとなってしまうだろう。

  24.わが言葉は、「善を行うことにうみ疲れてはならない」と教えている。だが、終わりまで耐え忍べるようになりたいなら、あなたの前にある競走を忍耐強く走ることを学ぶべきだ。それぞれの状況、プレッシャーの原因となっているものをわたしの所に携え、あなたの身に降りかかるチャレンジについてわたしの見方をわたしに示させるなら、あなたは自分の人生をもっとコントロールできるようになるだろう。つまり、わたしが、あなたの感じ方や、物事があなたにどう影響するかをコントロールできるようになるのだ。わたしに語らせ、教えさせるなら、あなたは自分自身や様々なプレッシャーをどう測定するかがわかるようになるだろう。そして、必要なことを成し遂げる助けとするため、そのプレッシャーを前向きに、建設的に利用できるようになる。

  25.だが、そのようにせず、一人ですべてを抱え込むなら、あなたは結局だめになってしまうか、あるいは爆発するか崩壊してしまう。どうなるにせよ、良くないことが起きる。あなたは完全に圧倒されてしまい、あなたの命も有用性も、そして最悪の場合、あなたの喜びやわたしへの愛が失われてしまう。

  26.(経路:)大きな機関室か発電室のようなものが見えました。太いパイプや管や発電機が至る所にあります。ものすごい量のエネルギーが生成され、この一つの場所に集められて、ありとあらゆるパイプや管を通り、工場の他の部分や、周囲の共同体か何かに送り出されているという感じがしました。接続部のすべてに計器やバルブがあり、プレッシャー(圧力)を調節し監視していました。

  27.白いジャケットを着た男性がクリップボードを持って歩いていました。計器をすべて点検し、弁の開き具合が適切かどうかを確認していました。どのバルブや継ぎ目からでも、蒸気か何かが吹き出してくるたびに、彼はそれを調整して補正するのです。

  28.パイプの中にはものすごい圧力がかかっているのがわかりました。その圧力は物事を推し進めるエネルギーです。圧力が適切で、バルブが正しい位置にセットされている限り、万事が順調でした。

  29.時々、必要に応じ、彼はバルブをもう少し開いてもっと圧力を逃がします。けれども、そういったことはすべて入念に、細心の注意をもって正しいタイミングで行わなければならないと感じました。そうでないと、非常に危険な状態になり、全体が爆発するかもしれないからです。

  30.(イエスが続けて語る:)わたしが理由を持ってあなたの人生に起こるのを許すチャレンジや試練やプレッシャーに直面する時はいつでも、あなたがそれを扱うことができるか、何らかの面であなたの益となるとわたしが知っているからだ。それは助けとなる。困難な立場に追い込まれたとか、重荷であると感じる必要はない。だが、同時に、荷が重すぎると感じ、消耗し切って、完全に悲惨な状態になり、進み続けられなくなるまでになることも、わたしは望んでいない。わたしはあなたを愛している。そして、あなたが必要だ!

  31.あなたには、人生やミニストリーにストレスを入り込ませる余裕なども少しもない。そんな余裕はないほどあなたは貴重なのだ。あなたはわたしにとってとても大切なので、自分の世話をきちんとしてもらわないといけない。あなたは、プレッシャーや障害をわたしに委ねること、それらのものに利用されたり酷使されたりせずに、それらの対処法や扱い方、あなたの益とする方法をわたしに示させなければならない。

  32.人生のどんなプレッシャーも、それがわたしからのものであり、あなたがそれをわたしの下に携えるならば、対処できるし、しかもうまく対処できる。わたしはあなたがたをかえりみているのであるから、自分の思いわずらいを、いっさいわたしにゆだねるがよい。わたしはあなたがしていることもかえりみている。それは結局わたしの仕事ではないか。だから、すべてを、プレッシャーやイライラの原因となっているもの一つ一つを、わたしの所に持ってきなさい。あなたのミニストリーや仕事や人生や奉仕に関わるすべてのプレッシャー、また、一緒に暮らし働いている人たちとの相互関係に生じる余分のストレスをわたしにゆだねなさい。すべてをわたしの足下に置きなさい。わたしのくびきを負いなさい。そうすればわたしは、あなたが取り乱したり、消耗したり、やれる以上のことをやろうとしたりせずに、もう一度人生や仕事を楽しみ、成長して、学ぶ必要のあることは何でも学び、やり遂げるべきものを何でもやり遂げるのを助ける。(以上、メッセージ)

石炭の塊がダイヤモンドに

  33.(イエス:)圧力が十分に加わるなら、汚くて真っ黒の石炭の塊が美しく澄みきったダイヤモンドに変貌するという話しを覚えているだろうか? 少しプレッシャーがかかっていると感じている時には、手を休めて、自分はその石炭のひとかけらであり、ダイヤモンドに変わる途中にあるのだと思うと、助けになるかもしれない。責任という重圧、わたしがあなたの人生で行っている様々なことから生じる圧力は、あなたを押しつぶすためのものではない。とても美しく特別なものに変えるためのものなのだ。

  34.パンディタ・ラマバイを例にとって見てみよう。彼女が、たとえ自分の命を半分に縮め、その間に2倍のことをするのをいとわないという所まで犠牲を払って、わが愛によって自国の人たちに手を差し伸べるために全力を尽くすという召しを感じた時、それはかなりのプレッシャーだった。だが、その荷とくびきはわたしからのものだった。わたしがその思いを彼女の心に置き、彼女はわたしの求めに委ねた。彼女は自分の十字架を取って、喜んでそれを負った。だが、彼女は正しい動機、正しい願望を抱き、正しい方法でそれを行ったので、彼女が過度のストレスを負ったり、それを不幸だと思ったりすることなしに、わたしは彼女を通してそれを行うことができた。確かにそれは彼女にとって重荷だった。だがそれはわたしの荷だったので、わたしは彼女がそれを負うのを助けた。それはわたしの良しとするところであり、わたしのわざであったので、彼女は能力以上のことをしなくても、またあまりに早く燃え尽きることもなく、ろうそくを両端から燃やすことができた。これは、ストレスや自己のわざとは対照的な、良いプレッシャーの例だ。多くのことが、あなたの動機と、働きの背景にあるあなたの霊、そしてあなたがどう物事を進めるかにかかっている。

  35.もう一人、正しい種類のプレッシャーをかけられながら生きていた例として、使徒パウロがいる。彼は長く実り豊かな人生を過ごした。ただし、ほとんど絶え間ないプレッシャーの下で。彼は、「わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである」と言ったが、その時、彼は明らかに、霊の内で強い圧力をかけられていると感じた。わたしは彼の心に、世界中に福音を広めるという重荷を置いたが、それは時として彼にとって非常な重圧となった。彼はその高い召しゆえに、何度もかなりの苦しみや犠牲、さらには苦痛にも遭った。でもそれは良いプレッシャー、良い痛みだった。神の御旨に沿った痛みであり、悪い痛みやストレスではなかったからだ。パウロは十字架の兵士として喜んで耐え忍んだ。また、彼は思いわずらいをわたしに委ねることを学んだので、わたしは、彼が走るべき行程を最後まで走り負え、報酬を受けるに至るまで、先に進み続けるのに必要な恵みや強さをすべて与えることができた。彼は燃え尽きず、消耗しきることもなかった。けれども、それを自分の力でやろうとしていたなら、決して耐え忍ぶことはできなかっただろう。彼は完全にわたしにより頼み、彼自身を徹底的にわたしに所有させなければならなかった。

  36.歴史上の人物には、死ぬ日に至るまで、わたしがその人生にありとあらゆる種類のプレッシャーをかけるままに委ねた人の例が数え切れないほどある。彼らが腰を落ち着けずに、動き、成長し、変わり続けるのに十分な、ちょうど良いプレッシャーが適切な量で加わったのであり、それはひとかたまりの無用な土くれが美しいほこりのダイヤモンドに変貌してわたしのために光り輝くようになるためであった。

  37.あなたの人生における重要な召しや任務に関しては、わたしはあなたにある程度のプレッシャーを感じてほしい。あなたには、わたしのために喜んで命を捧げてもらう必要がある。ちょうどパンディタ・ラマバイや、使徒パウロや、ジャンヌダルク、C.T.スタッド*やデービッド・リビングストーンや、その他多くの人たちが命を捧げたようにだ。それがかなりのプレッシャーであることは知っている。だが、それは、良いプレッシャーであり、敬神的なプレッシャーであって、あなたにはそれが必要だ。*(:「C.T. Studd: Cricketer and Pioneer」という本の要約を参照。MOサイトの「Overflow」セクションにあります。)

  38.わたしは、あなたの心に、わが愛によって世に手を差し伸べるために全力を尽くしたいという、燃える願いが常にあるよう祈る。これは大変な仕事だ。刈り取るべき大きな収穫があるが、働き人は少ない。だから、あなたには、腰を下ろして、楽をし、自分の身分を忘れ、わたしがあなたを何に召したかを忘れていいと考える余裕などない。

  39.自分が何のためにそこにいるのか、あなたの召しとわたしのための人生がどれほど重要かを、常に覚えていなさい。できるだけ少ししかやらないことで満足してはならない。視野を広げ、常に星を目指しなさい。愛する人よ、制限はない! あなたが自分にその能力があると感じようと感じまいと、その言葉はあなたにも当てはめまる。だが、星を見るには、下にある石臼、つまりしなくてはならない様々なことだけに目を捕らわれ、状況がどれほど困難か、あるいは人生がどれほど厳しいかを思って自分を哀れんだりせずに、上を、つまりわたしを見続けていなくてはならない。あなたの人生はそれほど厳しくない。特に、わたしがいなければどうなっていたかと考えるなら、厳しい人生ではない。あなたの人生は素晴らしい。命を捨てるだけの価値がある人生だ!

  40.だから忘れてはならない。プレッシャーは良いものとなりうる。プレッシャーはあなたの害になるとは限らない。益にもなりうるのだ。あなたは自分で思っている以上にはるかに多くのことができる。あなたは過去において、多くのことを自分の力で行って、生き、また働いてきたこともあったが、そのようなやり方ではなく、自分自身を通してわたしに十二分に生きさせ、働かせることを学んだ時に、それができるようになる。あなたはこのレッスンを学ばなくてはならない。そうしないと長続きせず、わたしがあなたを召している大いなるわざの時代に奇跡を行う人となることは決してできないだろう。

  41.この霊的原理は、あなたにとって把握しづらい。把握したいのだが、全然飲み込めないか、どうしたらいいのかわからないように思える。だが、わたしにすべてを与えたいと本当に願い、鍵の力とわたしが約束した助けを要求しつつ、これについて謙虚さと必死さの態度でわたしの所に来続けるなら、わたしはあなたの人生を変え続け、古びた肉と土くれの塊から、あなたがなるよう定められた美しいダイヤモンドへと変えるだろう。(以上、イエスからのメッセージ)

自分にできることをして、後はわたしに信頼せよ

  42.(イエス:)すべきことはたくさんあるのに、働き人が少ない時には、わたしがあなたを通して一番大切なことをやり遂げつつあると信頼しなくてはならない。そう、あなたにはすべきことの長いリストがあるが、それでプレッシャーに感じるべきではない。ただ一時間一時間こつこつ働き、できることをしなさい。そして後のことはわたしに信頼するのだ。しなくてはならない山ほどの仕事を見てやる気が出るのは良いが、決してそれを見て意気消沈すべきではない。すべきことがたくさんある時には、その難関を受けて立つべきであって、圧倒されるべきではない。

  43.すべての重荷をわたしに委ねなさい。たった今、わたしにすべてを与えなさい。あなたの仕事、思いすべてをだ。そして1日をやり遂げられるよう、わたしに助けを求めなさい。わたしは助けられるし、助ける。そして、あなたはかろうじて切り抜けるのではなく、一日の終わりには、自分は最善を尽くし、一番大切なことを成し遂げたと知って、その報いを感じつつやり抜くようになるだろう。(以上、イエスからのメッセージ)

わたしにしっかりもたれかかりなさい

(あるWSホームの一人のチームワークは、他のチームワークの人たちが出かけて留守の間、彼らに代わって務めを果たさなくてはなりませんでした。その人が受け取った預言です:)

  44.(イエス:)[あなたのチームワークが]出かけている間、多くのことが起こるだろう。そして、何らかの形であなたが責任を負うべきことが多く起こる。それらは、無視したり、放っておいたり、自分には無関係だというふりをできることではないし、そうすべきでもない。それらのことはあなたに関係している。それはあなたの仕事だ。けれども、普段よりやるべき仕事を抱えているこの期間には、あなたの先を行った多くの神の偉人たちの助言に従うといいだろう。彼らは、わたしに仕えた生涯を通して有能なリーダーとしての資質を身につけたのだった。

  45.これからの数週間、あなたがおもに優先すべきなのは、わたしに近づくことであり、普段の状況にある時よりもさらにわたしとの時間を費やすことだ。やるべきことはたくさんあり、霊の内で多くのことが起きているので、わたしはあなたに、自分の力でもっと多くを扱おうとしたり、無理をしてもっと多くのことを手がけようとしたりせずに、もっとわたしにより頼むこと、わたしにもっと信頼し、わたしとの時間を過ごし、わたしを賛美し、愛し、喜び、より完全にあなた自身をわたしに与えることの手本となるよう期待するだろう。

  46.もっと多くの責任や大きな仕事量を負うべき状況であっても、あなたの第一の、そして最も重要な責任とは、わたしとの関係だ。そういう場合でもそれが第一に来るのであって、それについては、何も変わるべきではない。今のままでも、あなたはすでに、普段扱っている責任を果たすべく絶えず働いているので、それ以上長時間、あるいは懸命に働くことはできないし、すべきでない。いつも以上のことをしようとしたり、背負い込もうとしたりすべきではない。

  47.だから、これからの数週間は、最終的にあなたの責任となることは増えるかもしれないが、すべきことに関してはあまり大きな変化があるべきではない。事実、それに関して何か変わるとしたら、あなた自身やあなたの思いをもっと少なくではなく、より多くわたしに捧げようと努めることであるべきだ。あなたの主要な責任はなお、わたしに対するものであり、生活上の優先事項は今までと同じであるべきだ。

  48.肉の内に無理するよりも、わたしにもっとしっかりもたれかかるつもりがあるなら、また、何かに励もうとするなら、いつもよりもわたしとの時間を特別なものにするよう励みなさい。そうすれば、これから起こることに対して一番必要とされる、霊の内の備えができるのを実感するだろう。

  49.わたしとの会合を一度たりとも逃してはならない。わが言葉とビジルの時間と、わたしとのコンフェレンス・タイムを守りなさい。すでにしている以上に詰め込もうとしてはいけない。ゆっくりと、しかも普段よりもスピードを落としなさい。必ずしも目に見える形でペースを落とす必要はないが、霊の内にもっとゆっくりと、決然とし、霊の内で強くつながっていなさい。周囲の状況や、人々、また人々の必要やホームの必要によって、焦ったり、プレッシャーをかけられたり、無理したりしてはいけない。

  50.優先順序について、必ずわたしから聞きなさい。重要なことに神経を集中させ、残りはわたしが世話をすると信頼するなら、いつもより負担になったり、プレッシャーになったりすることなく、すべてが処理されるだろう。

  51.いつもより責任が増えることは、あなたがそれをどうするかによって、二通りに作用する。肉よりも霊の内でもっと責任を負うという正しいやり方でした場合、それはあなたの能力を引き延ばし、あなたを成長させる。責任が増し加わることで、あなたがわたしにより近く引き寄せられ、わたしにもっとより頼むようになるので、あなたの能率と生産性はさらに上がる。けれども、正しいやり方をしなかった場合、つまり肉の内により懸命に努力し、自分の力で物事を処理しようとするなら、あなたは霊的に成長しない。かえって霊的には衰えてしまう。信仰は萎縮し、あなたは消耗し切って、わたしへの有用性が損なわれてしまう。

  52.すべきことが増えたからといって、この期間中は、あなたの霊的成長や訓練や備えが後回しになるということはない。断じてそうではない。これはすべて、備えの一環である。わたしは、これからの数週間を用いて、あなたが霊的に成長し、より高い霊的成熟度に達するようにする。少なくとも、それがわたしの計画だし、わたしにできることだ。ただし、あなたは協力し、わたしとのつながりを強めるよう努力することで、自分の分を果たさなくてはならない。(以上、イエスからのメッセージ)

神のペースで進みなさい

  53.(ママ:)次は、最近私が全WSユニットに送った短い手紙と、主からのメッセージです。その頃、多くの部門において厳しい締め切りがあって特に忙しかったので、多くの人たちがプレッシャーを感じ、少しストレスになりました。皆さんのミニストリーや仕事が何であれ、これを役に立てられれば皆さんも嬉しいのではないかと思いました。

愛する皆さん、

  54.皆さん一人一人を愛しています。そして、この忙しい時期のために祈っています。一人一人のために、効率と集中と天の思考パワーの鍵を要求しています!

  55.今のように、忙しくなってくると、プレッシャーやストレスを感じそうになり、主に思いわずらいを委ねるのが本当に難しくなることがあります。それで、愛する夫、主に、この時期に皆さんへの励ましやカウンセルを与えて下さるようお願いしました。すると、主は与えて下さいました! ここに、主が与えて下さった、役に立ち、信仰を築くメッセージを紹介します。

  愛を込めて、ママ

  56.追伸。これは、いつであれ、どんな理由であれ、プレッシャーを感じている人にとって良いカウンセルだと思ったので、このメッセージを皆さんに送ります。ですから、たとえあなたが今、特にプレッシャーを感じていなくても、それを主に感謝した上で、いずれ必要とする後の時のためにこのレッスンを取っておくといいでしょう。愛しています。

  57.(イエス:)愛しい花嫁たち、差し迫り、変わることのない締め切りに間に合わせようとするなら、すべきことは山ほどあるのに、時間は本当に少ない。だが、その荷を自分の肩に背負い込んではいけない。そんなことはしなくてもいい。わたしがあなたのそばにいて、あなたを助け、荷を下ろしてあげ、あなたを塗油し、わが知恵と超自然的な能力を授けるからだ。

  58.仕事を自分の肩に荷を負うことに関しては、不必要にストレスやプレッシャーを感じること以外の問題もある。結局、自分で最も大切だと思うことをして、わたしが最も重要と知っていることをおろそかにしてしまうことだ。わかるだろうか、このような時、あなたが肉体的にできることには限度がある。荷はあなたに重すぎる。だから、優先順序を知り、一番先にすべきことを先にし、自分にある時間内で一番重要なことを処理するには、わたしに頼り、その都度、すべてのことをわたしに尋ねなくてはならない。さもなければ、燃え尽き、過度のストレスやプレッシャー下に置かれるばかりか、肉の内にくたくたになりながら自分で最も大切だと思うことをこなそうとする一方、わたしが最も大切だと知っている事柄を忘れたり、こなすことができなくなったりする危険がある。

  59.このような時には、ただがむしゃらに進むという誘惑がある! 何と言っても、時間はとても限られていて、やるべきことはたくさんある。だが、忘れはいけない。忙しければ忙しいほど、わたしとの時間を過ごすことが大切になってくる。わたしはあなたがたに、時折、御言葉やP&Pの時間数を普段より増やすよう求めることもあるが、この場合は必ずしもそういう意味ではない。これは、仕事に励む時に、わたしにもっと意識を集中させ、優先順序が正しいこと、ゴールがわたしの望む通りに定まっていること、自分のスケジュールがわたしのスケジュールと平行して進んでいることを確認するということだ。これにはあまり時間はかからない。天国の思考パワーと、完全なる所有がもう少し必要になり、もっと鍵を呼ばわり、自分の強さや力でなくわが霊の力に集中することが必要になるだけだ。

  60.あなたがたが働く時、また物事を秩序立て、みるみるうちに迫ってくるDデー、つまり「締め切り日(deadline day)」に備える時に、各自がわたしに依存し、わたしに頼り、わたしから聞くなら、わたしはあなたを助け、塗油すると約束しよう。わたしにより頼み、わたしの計画に従って優先すべきものを優先し、わたしの望み通りに仕事をしているなら、締め切り日になった時にボロボロに疲れ切っているということはないだろう。できることはしたと知っているので、心には完全な平安があり、できなかったことについてはわたしが世話すると、わたしに信頼できるようになる。

  61.愛する花嫁たち、すべきことが多い時には、わたしとのつながりやわたしへの依存、信仰が、限界まで試みられる。肉の腕に頼り、すべて自分自身でやろうとし、わたしに委ねないのは、人間本来の性質だ。しかし、覚えていなさい、わたしに荷を委ねるなら荷は軽く、わたしのくびきを負うならそれは負いやすいというのが、霊の性質だ。荷が消えることはないし、何の努力もなしにくびきを負えるようになることもない。だが、思いわずらいや、重荷や、すべきことをわたしの肩にゆだね、わたしのやり方で行うなら、荷は軽くなり、くびきも負いやすくなる。

  62.わたしの肩はどんな荷でも負えるほど広い。しかも荷が重くなればなるほど、わたしはますます強くなる。わが手はどんな仕事もこなせるほど手際がよい。しかも、より複雑で難しい仕事になればなるほど、ますますわたしの力が発揮される。わたしの予定表は完ぺきであって、わたしのやり方で行い、わたしの優先順序に従って取り組むならば、仕事は大成功し、あなたは最善を尽くし、わが塗油と共に肉体的に力の限りを尽くしたと確信できるだろう。すると、残りについてわたしに信頼することができる。

  63.わたしがあなたにすべきことをたくさん与えるのは、その全部を今すぐするよう期待しているからではなく、それによってあなたがたがわたしにより頼み、やるべきことが山ほどある中でわが計画に従って進むことを学ぶためなのだ。ストレスやプレッシャーに圧迫されていると感じないための秘訣はこれ、つまり、始めから全部は達成できないけれども、わたしが望む事をやり遂げ、それをあなた自身のではなくわたしの強さと力によって行うのであれば、それでわたしの期待通りであり、素晴らしい勝利であると知ることだ。

  64.だから、愛する人たち、わたしのペースで進みなさい。そうすれば、成し遂げられるべきすべてをするための恵みと時間を与えよう。そして忘れてはならない。それは、すべきこと一つ残らず全部という意味ではなく、今為される必要があるとわたしが知っていることだけを、という意味だ。わが思い、わが思考、わが天の思考パワー、優先順序に関するわたしの意見、わが平安を持つために、鍵を呼ばわりなさい。それは、あなたをあらゆるストレスやプレッシャーから引き上げて、わが意思を知ることができ、わが計画が明確になり、わが優先順序が指針となり、わがの強さと力があなたのものとなる領域にあなたを至らせる。(以上、イエスからのメッセージ)

戦いを利用して前進する!

  65.(イエス:)戦いはこれからも続くが、一つ一つの戦闘を戦い抜くなら、それによってますます強くなる。霊の内に強くなり、新しい武器の力によって強くなる。

  66.自分のことで落胆したり、自分は進歩していないと思うことがあるなら、今までどれだけ進歩したかを見てみなさい。数年前の自分を思い浮かべ、今の自分と肯定的に比べてみなさい。ここ数年、わたしはあなたの人生に本当にたくさんのチャレンジを与えた。そして、それによってあなたは強くなり、成熟し、大いなる喜びを得た。今もまだまだ先は長いと感じるとしても、わたしがすでにどれだけあなたを成長させたかを見なさい。そうすれば、将来のための信仰もわいてくるだろう。

  67.確かにあなたはまだ「到達」していないが、愛する人よ、あなたは決して「到達」することはない。学び、成長し、進歩するのに終わりはない。地上の人生はそのように続いていく。チャレンジや、能力の限界までやり、より大きな霊の力を得るための機会で満ちている。だからある意味では、まだまだ先は長いと感じるのは良いことだ。それは前進し続けるというチャレンジだから。それで落胆すべきではない。落胆していると足が止まってしまい、前進できなくなる。

  68.落胆とは、あなたを阻み、これ以上進めないかのように感じさせる、大きな壁のようなものだ。あなたを現状に留め、敵の嘘へと沈んでいくあり地獄のようなものだ。だから、信仰の鍵で戦わなくてはならない。わたしへの信仰、わたしの意思を行う信仰、さらには自分自身に対する信仰、また、わたしはあなたの弱点や能力不足に関わらずあなたを使い、また使うことができるという信仰の鍵によって。愛する人よ、たとえ自分が消耗した電池であるか、ガス欠で走っている車のように感じても、わが能力は常にあなたの能力不足を補ってあまりあること、わが強さは常にあなたのそれに取って代わること、いつもわが力を利用できることを、今年、あなたにもっと学んでほしい。

  69.あなたがどう感じようと、どれだけ弱く感じようと、どれだけあなたがしょっちゅう大間違いや過ちを繰り返すとしても、わたしの力や鍵が助けられないほどの状態になることは決してない。落胆によって、わたしが望むほどあなたを使えない所まで引き下げられ、押し戻されてはならない。愛する人よ、常にそれと戦いなさい! 超越し、乗り越えるという熱気球に飛び乗りなさい。あるいは、わが霊の翼をつけなさい。わたしがあなたを上に上げて、すべての障害を越えさてあげよう! あなたは、自分が敗北し、無力な存在だと思う分だけ、そうなる。だがそのように考える事を拒み、わたしの力という面から考えるなら、あなたを通してわたしにできることは制限がない。

  70.そうだ愛する人よ、わたしがあなたを通してやりたいことがもっとある。あなたをもっと大きく使いたい。だが、わたしが望む地点にあなたを持ってくるには、戦いを経なくてはならない。だから、戦いにあっても喜びなさい。それは、あなたをわたしの望む場所、つまり「到達」という最終地点ではなく、絶えず前進し続けるという地点に至らせるための輸送手段であり方法なのだから。

  71.わたしのために道を歩いていると思いなさい。てくてく歩み、多くの戦いもなく進歩を遂げる時は、あなたは前進し、それほどの戦いではない。だが戦闘が起きると、それはあなたの前進速度を一段と速める乗り物のようになる。だからそれに飛び乗り、その行程を最大限に活かしなさい! 戦いや試練の一つ一つを最大限に利用し、霊的な成長のためにその最後の一滴まで自分の経験を絞り出しなさい。そうすればあなたは飛躍的に前進する。また、戦いが終わった時も、わたしがさらにあなたを前進させるための戦いを送るまで、前進し続け、わたしのために歩み続けなさい。わかるだろうか、愛する人よ。肯定的な見方で戦いを見るなら、それをわたしに感謝し、賛美できるし、戦いという乗り物に乗って人生の霊的な小道を走りどこに着くかを、心から楽しみにすることができる。(以上、イエスからのメッセージ)

仕事とファミリーの優先順序の間のバランスを取る

  72.(ママ:)次のメッセージは、愛するCOの質問の答えとして受け取ったものです。その人は、多くのリーダーや責任ある地位にいる人が常に向き合わなくてはならない問題に直面していました。この人は、2つの非常に大切な必要の間で、板挟みになっていたのです。片方はファミリーに関わる仕事であり、もう片方は自分自身の家族に関わる事柄でした。質問は、その時点でどちらがより重要か、どちらの世話をすべきかでした。一度に2つの場所に居られないことは明らかですし、どちらの必要もとても重要に思われました。

  73.このような決断はCOの問題だけとは言えません。私たち全員がこういった問題にいつも直面します。そして、正しい選択とは何なのかがあまりはっきりしないことがよくあります。その時にどちらがもっと重要かなどを知ることは、たいてい、個人の信仰や、タイミング、確信、知恵の問題です。このような時に、いつも愛情深い夫である主の下に行き、その賢明なカウンセルを聞けると知っているのは素晴らしいことです。

  74.ここにあるのは、そのような場合どのように物事を見ればいいかを知る上で役立つ、主からの一般的なカウンセルです。でも、どうか、これをそのまま取って試したり、あなた自身の状況についてどうすべきかを見つけ出すための青写真として使わないで下さい。主に尋ねて下さい。そうすれば主は教えて下さいます。そしてその時にどちらの必要を満たせなかったにせよ、主はそれに関してあなたの心を慰めて下さるでしょう。何をするにせよ、敵の非難を受け入れてはなりません。主がせよと言われたことを、完全なる信仰によって行い、残りは主が世話してくれると知りなさい。あなたが全部できないのは明らかです。だから、イエスに選択を任せる気が本当にあるなら、主はそれぞれの状況のための最善の選択を示され、あなたが行くことのできない方を世話してくれるでしょう。ダッドは常日頃からこ言っていました。「主の肩は、どんな荷も負えるほど広い。」 主よ、感謝します!

  75.(イエス:)どんな時に自分の家族の必要を第一に置くか、また、どんな時にわが王国の仕事を先に置くかを決めるのは、プラス面とマイナス面を秤にかけること、わたしが示す優先順序の問題だ。

  76.あなたは何を失うことになるか? ファミリーは何を失うことになるのか? その損失は後で償えるだろうか、それとも行動に出ることができるのは今回限りだろうか?

  77.これは白黒判別できる問題ではない。たいていの場合、誰かが少し損失を被り、犠牲を払うことになるからだ。一つの状況にとって必要とされ、答えとなるものは、全員やすべての状況にとって答えになるとは限らない。これは選択であり、ほとんどいつも何らかの犠牲が伴う。その時点では、誰もがあなたから望むもの、さらには必要なものさえも得られるわけではない。だが、考慮すべき大切なことは、その必要に応じ、その必要を満たさない余裕などないほど、その必要が重要なのかどうか、それほど大きいかどうかだ。

  78.必要は絶えずあるだろう。それがファミリー全体やファミリーに仕えるようにというわたしの召しであろうと、あなたの私生活や家族の必要であろうと、あなたは常に必要に取り囲まれている。これも覚えておくことが大切だが、何かが必要だというだけで、あなた自身がそれを満たすべきだと自動的に仮定すべきではない。もしかしたら、あなたがそれを満たすべきかもしれないが、そうでないかもしれない。わたしがあなたに道理を示し、説明するよう、尋ね求めなさい。自責の念や心配が取り除かれ、あなたがわが意思の内におり、正しいことをしているという安心感が得られるだろう。

  79.特に心の荷となりうる自分の家族のことに関しては、わたしがあなたに何を望んでいるかを詳しく尋ねもせずにすますようなことがあってはならない。あなたが何に対して信仰を持っているかをわたしは知っており、その信仰に従ってわたしはあなたの前に道を開く。

  80.多くの場合、「正しい」選択、「間違った」選択というものはない。わたしはそれに代わる「善いもの」の間で選択を与えるからだ。だが、決断によっては他よりも優るものがあり、あなたは、カウンセルや祈りやわたしから聞くことによってそれを判断することができる。あなたは、わが意思に至らせるような質問を幾つか尋ねることで、その時点では何が最も賢明な選択なのかを判断できる。わたしは明確なカウンセルと踏むべきステップを示して、あなたがわが意思の中にいると知って心の平安を持てるようにする。

  81.あなたの家族については、わたしにこのような質問をしなさい。:

* 彼らには何が必要ですか。そして、それを最善の方法で満たすには、私はどうすべきですか?

* 私が家族に注ぐ関心や、彼らとの時間は、必要とされる実を結ぶでしょうか? そうした時間と関心を注いで、彼らが必要とする答えを与るのが適切な時とは、今でしょうか?

* 私が知っておくべきマイナス面は何かありますか? もしそうなら、主よ、あなたの解決策は何でしょうか?

* 私は親としての心配や自責の念、失敗したという個人的感情に影響され過ぎていますか? 私の感情が釣り合いを欠いているなら、どうぞあなたの御心を示し、どうすればあなたの見方で見ることができるかを示して下さい。恐れや自責の念を抱かずに、あなたのカウンセルに基づいた決断ができるよう助けて下さい。

* 今、何らかの形で私の家族に注意を払わないなら、深刻なダメージがありますか? 御仕事の汚点となったり、非常に困難な問題を引き起こしたり、修復できなくなるほど彼らの信仰を傷つけたり、あなたへの奉仕へのつまずきとなってしまうほど、深刻ですか?

* その答えは、会いに行ったり、コミュニケートしたりなど、私がじかに何かをすることで得られますか? それともあなたが示したいと思われる答えが他にありますか?

* 私本人がそこにいるというのが一番必要とされていることであって、助けとなるのはそれだけですか? それとも、あなたが示したいと思われる答えが他にありますか?

  82.ファミリーにおけるあなたの仕事に関しては、このように尋ねなさい。:

* 私が今のように自分の家族に対して時間や関心を注いでいることは、フィールドやあなたの御仕事に何らかの修復不可能な損失をもたらしていますか? その損失は永久的なもので、何かの面で御仕事が妨げられたり、害を被ったりしますか?

* あるいは、この機会を逃したら受け取れないような、仕事上の進展や勝利の鍵となる訓練や貴重なインプットを失うことになりますか? 私が関わることによって今得られるべき進歩や勝利は、現時点で私自身の家族の必要に優るほど重要ですか?

* たとえ、私自身の家族が何かの面で犠牲を払うことになったとしても、現時点でのファミリーの必要は、私が注意を払わないわけにはいかないほど、何かの面で極めて重要ですか?

  83.両方とも重要であり必要とされているので、あなたはバランスを求めてわたしを尋ね求めなくてはならない。難しい選択というものは、重要な事柄よりも、日常的な事柄についてもっと頻繁に生じる。より深刻な事柄に関しては、普通、何が正しい選択かがより明白であって、あなたはそれについてもっと平安を持てる。それがどれだけ重要かが明白だからだ。仕事と家族の必要の間の選択が難しいことがよくあるのは、それが絶え間なく起こる日常的な事柄だからだ。どれも全部重要だ。両方の側が重要だ。だからあなたは答を求めて、わたしを尋ね求めなくてはならない。

  84.わたしが与えたあなたの家族や子供たちは大切だ。彼らの必要を気にかけること、良きペアレンティングと、子供たちへのわが愛の見本であること、あなたの見本によって、わが王国においてペアレンティングや子育ては最も重要な仕事の一つであるという合図をファミリー全体に送ることは、大切なことだ。

  85.だが同時に、あなたは、助けを呼ぶ声や、自分の家族の事柄によって簡単に説き伏せられ、より大きなファミリーとあなたの場所での奉仕を怠るまでにならないよう、祈り深く、また注意深くあるべきだ。あなたの家族により多くの時間や関心を注ぐあまり、仕事への関心が怠られるほどになるなら、それは、わたしと、ファミリーにおけるわが仕事が2番目に来るという間違った信号を送る。だからあなたは、すべてを秤にかけて、どちらを怠ればよりダメージが大きいか、どちらに時間と関心を注げばより大きな進展や勝利が得られるかを、祈り深く考慮しなければならない。

  86.あなた自身の家族に関しては、あなた自身の関心が必要とされ、そうするのが正しいことであると判断しやすい場合がある。たとえば、医療上の緊急事態や死亡、危機的、衝撃的出来事などだ。あなたがその場にいるにせよ他の方法によるものにせよ、あなたが関与するかどうかが、事態を非常に深刻で複雑化するのを防ぐ決定的要因となるならば、その時間をつぎ込むのは重要だ。

  87.ファミリー全体に対する責任は非常に大切ではあるが、それがあなたの家族の肉体的、霊的生命を救うか、ファミリー全体のセキュリティーを保護することになるなら、あなたの家族が優先される場合もある。わたしに尋ねなさい。そうすれば、わたしは、そのような時点に至っているがいつなのかをあなたに示せるし、何をすべきか、あなたの決断について裏付けを与えることができる。あなた自身の家族の幸せや福祉はとても重要であり、彼らが幸せになり、満たされるよう、できることは何でもすべきだ。また時には彼らともっとパーソナルタイムを取るか、あるいはたとえ現在肉体的には離ればなれでも、何らかの形で愛や関心を与えることを意味する場合もある。その場にいなくてはならないこともあるかもしれないが、いつもそうとは限らない。

  88.また時には、あなたの家族が必要と思っていることでも、それが彼らにとって最善とは限らないこともある。たとえ彼らが助けや慰めを求め叫んでいても、あなたが実際にその場にいるのは、わたしの知る最善ではないこともあるかもしれない。わたしは時に、一番必要とされているのは、あなたが実際に彼らと一緒にいることよりも、おそらく、あなたの祈りやコミュニケーションかもしれず、また、もっとじかに会える時も訪れると安心させてあげながら、わたしを第一に置くというあなたの手本かもしれないと示すこともある。全体の仕事よりも個人の家族のことを優先すべき時がいつかを決めるのは難しいが、あなたがわたしの下に来て、具体的な質問によって導きを求めるなら、わたしはあなたを導く。

  89.あなたはリーダーとして、また親として、二つの役割を負っているので、当然、均衡を保つのに苦労する。一方を他方よりも重視するのは答えではない。そうすると、常に、片方の役割を果たさずに何かをやり損ねているという気持ちと葛藤することになる。いつ、何をすべきかをわたしに聞くことが答えだ。そして、その答えに忠実に従うことだ。あなたは、自分では全部できないこと、これにはバランスが必要であることを受け入れなくてはならない。いつ何をすべきか、それをするのにどれだけの時間を割くべきかをわたしに尋ねるなら、あなたは自責の念を抱くことなく両方の役割に関心を注ぐことができる。

  90.愛する人よ、どちらの役割も大切だ。何をすべきかを知る唯一の方法は、わたしに尋ね、わたしが示したことを喜んでする気持を持つことだ。(以上、イエスからのメッセージ)

賛美とポジティブさ

そして敵を嫌悪すること!

  91.(あるCOのコメント:)私は自分の生活に賛美の革命を起こそうと戦っています。落胆や圧倒されそうな気持ちになってきた時、また、それに襲われる前にさえも、私は賛美します。賛美はこれまで私の生活に欠けていた部分で、今、私は、賛美の鍵を活性化させるため、主に協調しようと努めています。時々、私にもっと否定的な思いの戦いがあるのは、わたしの仕事のせいであり、また、とても多くの問題に対処しなくてはならないのが理由かもしれないと思うことがありますが、同時に、状況がどうであれ、勝利とは心のあり方であって、常にポジティブな生き方をすべきことも知っています。私は、ポジティブで楽観的でいよう、さらには極端なまでに幸福でいようとコミットメントしました。私はその意味で、鍵を呼ばわり奇跡を期待して、私の人生に光を灯したいのです。このコミットメントをした後、最近激しい「うつ」の攻撃を感じました。(実際に口に出すととてもひどく聞こえますね!) どこからともなく波が襲ってきて、巨大な重しが自分にのしかかる感じがします。ひどく憂うつに感じる時は、鍵を要求し、賛美し、歌い、何でもします。すると主はそこから私を助け出されます。

  92.(ダッド:)ハニー、あなたは戦っており、克服しつつある。攻撃に出始めた時には、ただ、始めはもっと激しい戦いに会うことを予期しなければならない。また、最初は多少つまずき、倒れることもあると予期しておく必要がある。悪魔は、あなたが本気であることを思い知らされなくてはならない。悪魔は初っぱなに一番激しいパンチを幾つか食らわしてくる。あなたが落胆し、あきらめ、領土を明け渡すのを望んでいるからだ。悪魔が勝てる方法は唯一、あなたがあきらめる時だけだ。

  93.あなたに尋ねたいことがある。あなたはなぜこのように働きかけているのか? 誰かに言われたのだろうか? 他の人への手本のために、そうしなければならないと思ったのだろうか? あるいは、これを通して自分の人生に敵が侵入してくるのが嫌だったので、敵の出所である地獄にやつを追い返そうと決意したからだろうか? 最初、このスッテプを踏むと心に決めたのは、はじめに挙げた理由の一つだったかもしれないが、本物の、完全なる勝利を望むなら、後の方の理由でなくてはならない。

  94.たとえば、あなたが誰かに対して激怒していたとする。そして、その人物があなたの子供を傷つけようしていて、あなたは子供を守ろうと駆け寄るが、その途中で不意打ちを食らって打ちのめされたとする。その時あなたはただ「ああ、痛かった! もうおまえとは戦わない。好きにやってくれ!」と言うと思うろうか。とんでもない! わたしがあなたという人間を知っていたとしたら、そして、知っているのだが、あなたならすかさず立ち上がり、これまでにないほど強烈なパンチを食らわせるだろう! 一時の敗北は、あなたをさらに憤激させ、もっときつい反撃を食らわそうという気にさせるのみだ!

  95.さて、悪魔は小悪魔どもを使ってあなたの思考に働きかけさせている。あなたが耳を貸すなら、否定的思考のパターンにはまって、あなたを憂うつにさせることができるとわかっている材料を与えているのだ。やつは、あなたが賛美の鍵を手に取ろうと努力しているのを見て、それを心底おびえている。だから、攻撃に出た。そして、勝利を得ようというあなたの試みは、一見失敗のように見えている。

  96.だが実際は、負けるのはあなたがあきらめる時だけだ。だが、問題を引き起こしている小悪魔どもに対してカンカンに腹を立て、心底憎み、やつらに邪魔させはしないと、かつてないほど決意を固めて急襲をかけるなら、あなたはすでに戦いに勝ったことになる。悪魔は少しの間、汚い手を使おうとして回り道で戻ってくるかもしれないが、それによってあなたがますます激しく戦うなら、やつはすぐにあきらめるだろう。

  97.鍵には、克服できない特質、思考様式、習慣、思考パターンというものはない。だが、中には、鍵を要求し、鍵に対する敵の嘘を受け入れるのを拒むことによって、鍵に対する信仰を持って行動すべきことを忘れている人もいる。鍵は、鍵に対するあなたの信仰によって作動している。そのような思考パターンの幾つかはあまりにも深く根づいている。従って、どんなことがあっても懸命に努力し続けると決意しなくてはならないということだ。そして、もしつまずいたなら、悪に敵対する御霊の怒りを主に求めなさい。(以上、ダッドからのメッセージ)

  98.(サムソン:)愛する人よ、主は私に、これらの戦いに関してあなたのコーチとなるよう召された。私は弱さだらけの人間だったが、それでも主は私を、主の民に向かって主の言葉を語る士師とされた。私が悪を嫌っていること、私なら命をかけて主の子供たちを守ることを、主は知っておられた。また、私自ら作り出した幾つかの問題を乗り越えるため、かなりの苦労をする羽目になった時期もあった。

  99.だが、多くの欠点にもかかわらず、私には2つの性質があり、それによって私は、主から必要とされた時に立ち上がり、御心を果たした。一つめは、悪に対する深い嫌悪だ。二つめは、民に対する深い愛と、どんな代価がかかろうとも彼らを守りたいという願いだ。民は、主の言葉と忠告を耳にしなければならなかった。自分ではそれがわからないことがよくあるからだ。

  100.私のミニストリーのその一面について、あなたはあまり耳にしないが、だが裁きつかさとして、私はそれを毎日行っていた。人々は私が問題を解決してくれるものと期待して、私の所に問題を持って来る。私は非常に分析的な傾向があり、判断力を使って、論理的でうまくいく裁定を下せると思っていた。

  101.自分で答えを見つけ出そうとすると、たいてい間違った答えにたどり着いた。最初はそのようなことが多かった。事態は悪くなり、人々はどうして私が彼らの裁きつかさになったのかを疑問に思い始めた。自分では理屈通りの結論に達していると思っていたが、自分自身の理解にあまりに頼りすぎると、人々にとって、そして最終的には私自身にも、それが非常に明白になった。

  102.私はふさぎ込むようになった。それでますます否定的になり、それでさらに仕事上の手違いが起こった。ついに、私はある夜遅く、荒野に出て祈った。それまでは、そのようなことはあまりしたことがなかったが、私は必死だった。私は大きな岩の上に座った。そして、私が負わねばならない重荷は、首にかけられたひき臼よりも重く感じられた。神との関係を正し、正しいことをしようとしているというのに、その代わりに深い絶望感に襲われた。私は肉体的に強靱だったが、霊の戦いでは赤子だったのだ。

  103.ふと見ると、何十匹もの毒蛇が、私の座っている岩の周りにうようよしていた! その牙と目は火のようにらんらんとしていた。その時、声が聞こえた。穏やかで優しい声だった。「敵なる悪魔は、否定的な思いや、自分の失敗に対する絶望感、あなたが仕えるようにと召した人たちの問題を通して、あなたの心に毒を注いでいる。それは、これらの毒蛇があなたの体を殺すと同様に、あなたの魂を死に至らせる。だが、あなたがそのいずれにもあなたの霊に触れさせず、わが怒りをもって追い出すなら、わたしはあなたがその両方から抜け出す力を授ける。」

  104.主はそれから、憤りをもってそのヘビの中に飛び込みなさいと言った。それは私にとって理にかなわないことだった。それは「常軌」を逸していた。少しの間戸惑っていると、毒蛇は岩の下に迫ってきた。私はその言葉を信じるか死ぬかのどちらかだと思った。そしてその瞬間、私は主の声に信頼する方を選んだ。私はその悪しき生き物たちに対する憤激と嫌悪の叫びを上げながら、その中に飛び込んだ。私はそのまま無事で地に立っていた。毒蛇は消え、同時に絶望や失望感もなくなっていた。

  105.その時から、その他の面での戦いは続いたが、そのたび毎に、私には勝利の源があった。あなたは、どんなことがあっても貫くという確信を、信頼の上に築かなくてはならない。それから、敵と、自分の人生に対する敵の侵入に憎悪を抱き、それを滅ぼしたいと思わなければならない。だから、運命の時が来て、主の声が柱を押し倒しなさいと告げた時、それもまた、誰にもできない不可能な状況だったが、私はもう一度最後に、信仰によって一歩踏み出し、不可能を可能にすることができた。

  106.愛する人よ、それが私の任務だ。あなたの思いができっこないと告げることにあなたが手を伸ばすのを助けることであり、また、敵と敵の攻撃のあらゆる方法に対する憎悪を燃え立たせることだ。あなたは、この先たくさんの大いなるわざをするだろう。柱は倒さないかもしれないが、それと同じだけ大いなる、強力なわざであり、それと同じだけ奇跡的なわざだ。

  107.しかし私と同じように、まず自分自身の生活から始め、自分で練習しておかなければならない。それから準備が整ったら、多くの人たちが不可能なことに対して信仰を持つのを助けるため、あなたを大いに使われるだろう。それが今まであなたの弱さだったが、あなたがその変化をくぐることをいとわないなら、主はそれを強さに変えることができる。時にはたやすくないこともあるだろうが、主が示されたことを、全身全霊を込め、無条件でやるなら、主はあなたの「へま」でさえ、益として下さるだろう。私はここにいて、あなたを助けよう。(以上、サムソンからのメッセージ)

より近く歩ませたまえ(Just a Closer Walk)…

(これは、痛みを伴い衰弱させる患いを幾つか持った、あるWSメンバーが受け取ったものです。それと同時に、彼女の住む小さなユニットには、人員と家の大きなチェンジがありました。)

  108.(ダッドが歌う:)

より近くを歩みたいのです。

イエスよ、私の嘆願をお聞き下さい。

日々あなたの近くを歩みたいのです。

愛する主よ、私の願いをかなえて下さい。

  109.スイートハート、あなたが経験している様々なこともまた、ここで言う「より近くを歩む」ことなのだ。主人が喜ぶことをする事、主と一つになる事があなたの願いなら、これらのテストや試練や患難はまさにそれをしているのだと、確信できるはずだ。これらはすべて、あなたを主に近づけ、主と一つにならしめるための一部だ。つまり、あなた自身を捨て、主にもっとコントロールさせることなのだ。

  110.あなたは、戦い続け、進み続け、毎日できることをし続けなくてはならない。できないことについては主に信頼しなくてはならない。体の患いなどないとか、消えて無くなるというふりをしてもだめだ。そんなことはないから。けれど、今の状況と状態を主に委ねることはできる。あなたの道を主に委ね、主に信頼しなさい。そして、そうするなら主はあなたの願いをかなえられると知りなさい。スイートハート、主はあなたを守られる。

  111.物事が最終的にどうなるか、自分の小さなユニットはどうなるか、また、これらの患いからいやされるのかどうかは、心配しなくていい。それらが最終的にどうなるか考えると、あなたは心配してしまう。だが、あなたが自分で考えたり推測したりしても、たいていの場合、がっかりしたり、意気消沈したり、落胆するだけで、どうにもならない。こういったことを、頭の中で色々と思い巡らし始める時には、主の思いを使っていないわけだ。それで主は、あなたに影響を及ぼし、その場に介入して、あなたがすべき方法で考えるのを助けることができない。

  112.このようなことをあれこれ考えていると、敵が入り込んでくる。肉の領域は彼の領域だから、敵はあなたの肉の思いに手を加えることができるので、結局、さらに事態がもつれ、疑問や疑いや落胆がもっと生じる。あなたは、自分の思いと考えを、周りの状況や条件ではなく、主と主の御言葉に留めなくてはならない。

  113.毎日気を配らなければならない、実際的、物質的事柄は多い。あなたは、それを主に委ねないといけない。そういった実際的な問題を主の霊によって対処できるよう、主の思いが与えられるよう、主にお願いしなさい。そうすれば、自分の理解にではなく主により頼むことになる。すべての道で主を認めているので、主が自分の歩みを導いておられると確信して、平安を抱ける。そして主はあなたのすべての歩みを守られる。一歩たりとも足下をすべらすことはない。それが主の約束だ。

  114.主はその時、その時のための力を与えられる。次の時のことは心配する必要はない。それ以降のことはなおさらだ。それについては安心しなさい。主は、あなたが必要とする時に、信仰や、あなたに必要なすべてのものを与えられる。あなたの力は、あなたの生きるかぎり続く。現在よりも先のことを考えさせようとする思いに立ち向かいなさい。終わりの時、来るべき迫害、主が私たちに備えるように求めたことなど、起こるとわかっている出来事に対して計画してはいけないというのではない。だがそれについて心配すべきではない。それらのことは、そんな暇がないほどすぐにやって来る。ただ言われた通りにしなさい。備えなさい。御言葉を心に蓄え、暗記しなさい。そして、あなたがたのうちに良いわざを始められた方が、終わりの日までにそれを完成して下さると確信しなさい。主がそれをどう完成されるかは考えなくてよい。ただ時が来れば主は完成して下さると確信していなさい。そして主にあって休息し、能力の及ぶ限り、主のために今日を生きなさい 。

  115.最善とは何か? 今日従い、服従し、委ねることだ。だが、あなたは完ぺきでないので、いつも的に命中するとは限らない。だが、試みなさい。そして、主は憐れみ深い神であると知りなさい。的をはずした時でも、当った時と同じだけ訓練になる。的に当たるより、的をはずすことの方が多いなら、その時が助けを求めるべき時だ。取り乱す必要はない。だが、その時は外部からの助けを得る時だというのを気づく必要はある。主は忠実であられ、あなたの世話をし、あなたが心から願うなら必要なものを下さるだろう。主はあなたがそのような時期を通るのを許される。それは、あなたが絶対に自制心を失わないようにするために、主があなたの中に置かれた霊的メカニズムである。主はあなたに、揺さぶりを感じさせる。それは、あなたが主に助けを呼び求め、あなたが主の近くに留まり、主がいなければあなたは無であることを深く認識するためである。これもまた、あなたを謙虚に保つ方法なのだ。

  116.主はあなたに、それを経験させなくてはならない。すべてイエスのおかげであり、あなたは無である、また、主はすべての権能の源であり、あなたがするすべての善い行いの源であることを知らなくてはならない。すべてあなたの内にいますキリストゆえであって、あなたの内にいるあなた自身ではない。主はあなたをそこまで至らせなくてはならない。世が大患難の時代に入った時、主があなたを使って大いなるわざを行えるようにするためだ。あなたは主を知るだろう。深い親密さを得る機会を与えられながらそれを拒んだ他のファミリーメンバーとは異なって、あなたは、主から必要とされる方法で、最も親密に主を本当に知るようになる。

  117.そのように自分の意志を放棄し、主が望まれることは何でも主にしていただくことにより、あなたは、他の大勢の人にはできないことができるようになる。あなたをそのような状態にするために、主はあなたを砕き、造り変えなければならない。たった今、主はこの患いを使ってあなたを砕き、造り変えている。

  118.あなたは自分に何が起きているかがわからない。耳の問題で、頭が変になるのではないかと思う。絶えず、ひっきりなしに、夜も昼も耳鳴りがする。また、何の理由もなく起こると思える脇腹の痛みがどうして何度も起こるのか、わからない。そして物を飲み込みにくいという問題に再び見舞われている。タイプする時には手首が痛む。あなたは現在のチェンジに不安を感じている。あなたの情緒は不安定だ。涙もろく、悲哀感に襲われる。そして、迫害や、変動する世界の出来事という形となった「問題の切迫感」を抱いている。愛する人たちのことで重荷も負っている。それに、あなたをせき立てるありとあらゆる物事。あなたはプレッシャーを感じている。それはすぐ目の前にあり、非常に現実的だ。だが、あなたは、これらのものに押しつぶされないように守っているバリヤーが周りにあることも感じ取っている。

  119.そのバリヤーは、鍵の力であり、また、あなたと共にある鍵の飛行物体、あなた個人にあてがわれているスピリット・ヘルパーたち、天使や霊的存在などだ。あなたは霊的成長の次の段階を経験している。大変だろうね、ハニー、それはわかるよ。だが、こういったことが起こっているのは、あなたが正しいことをしているからだ。あなたは、自分のスピリット・ヘルパーたちとコミュニケートし、鍵について学び、それを使い、呼ばわり、常に主の考えややり方にオープンでいようと、意識的に努めている。

  120.あなたが霊の領域にもっと入り込むと、物質的領域、肉の思いはショックに陥る。それは、あなたが長年の間、ある一定の方法で事を行い、ものを考え、一つのやり方でやることに慣れてきたからであり、あなたは今、主の霊的アップグレードに適応する必要がある。鍵の使用や、天の思考パワー、完全なる所有に熟達するよう学ぶことがそのアップグレードであり、それには古い思考形式、振る舞い方を完全に消去し、上書きする必要がある。あなたがたを攻撃する様々な悪鬼、またあなたを助けてくれる新しいスピリット・ヘルパーたちが啓示され、霊の戦争における活動が増したことを知ったことにより、あなたに対して霊の世界がかつてないほど開かれた。ファミリーが今経験しているメタノイアや、あなたは言うまでもなく、ファミリーにジョインした時の25才の弟子のままではないという事実もあるし、こうした様々のことは、少々順応を要するとは思わないかね?

  121.主は、決してあなたが負える以上の荷を与えない。それを忘れてはいけない。あなたの場合、霊的、肉体的、感情的に他の人より敏感なようだが、だからといって不安になる必要はない。神は、ご自身の子供たちを一人一人独特に造られた。神があなたをそのように造ったのは、その必要があったからだ。それは間違いではなかった。あなたは、偶然にできた出来損ないではない。自分ではそう思うかもしれないが、神があなたをそのように造られたのは、ご自分が栄光を受けるためだ。神は、あなたの肉体的、肉的、感情的弱点を手にとって、強みに変えて下さるだろう。主の力は、あなたの弱い所に完全にあらわれる。心配しないように、ハニー。主はあなたを失望させられない。主はあなたが動揺したり、気が変になったり、ノイローゼになったりすることを許しはしない。少なくとも、主の御心を果たすために、主がそうする必要があると思われる以上にはね。ハ!

  122.わかるだろう。あなたというものが少しも残されていない状態にするため、時々主はあなたにそういったことを味わわせる。自分が精神的にだめで、肉体的には無力だと思っても、それはそれでいい。神はそれに制限されない。神が制限されているのは、あなたの頭が完全にはっきりしていて、自分の力を全開して突き進んでいる時だ。あなたはその力によって、今までいつも「このやり方」でやり、やり方を熟知し、かたわらでほんの少し祈るだけでその方向に進んできた。だが、それはもはや通用しない。主が介入し、あなたを再配線できるのは、あなたが知り、考えたすべてのこと、また、今まで慣れ親しんだやり方を消去した時だけだ。これは思いを新たにすることであり、聖霊による清め、再生である。

  123.いったんファミリーにジョインして、こつを身につけたらそれで終わりと思っていたわけではないだろう? もちろん違う。私たちはイエスのための革命だ。常に変革がある! すべてが移り変わる。「かす」は上に浮いて、あふれ出、押し流され続けなくてはならない。鍋をかき回すことは必須だ。古いものは過ぎ去らなくてはならない。スイートハート、それは簡単ではない。私も体験した。年を取ってくると、それは簡単ではない。だが可能なんだ。

  124.あなたは、今までやってきたやり方でやることはできない。同じだけのエネルギーもないし、かつてほど速くも動けない。まあ、いいじゃないか。私はそれで満足だ。それで、今、あなたはもっと主に頼るしかないから。以前は何でもないと思った多くの事でも、主に頼らないといけない。自分の思いや感情、肉体を保ち、自分の務めや、ありとあらゆることを遂行できるようであるためには、あなたは主に頼らないといけない。それは素晴らしいことだ、ハニー。過去には、あなたはただちょっと祈って、日々の日課に取りかかったかもしれない。健康状態も良く、丈夫だった。エネルギーもあった。今は健康もすぐれず、昔思っていたほど強くなく、あれほどのエネルギーはない。気も弱く感じる。ハニー、あなたに言いたい。あなたは、主がこの時期にとても重要な方法であなたの人生に働きかけるには、絶好のコンディションだ。

  125.若い人はどうだろうと思っているのかい? あなたは、「彼らはこうしたことを経験していない、では彼らの場合はどうなのだろう?」と。さて、彼らには別な一連の試練がある。一つは世俗の誘惑と、体制にいた経験がないことだ。主は彼らにそういったことを経験させ、決断を下させる。彼らはこの世の厳しい誘惑にさらされ、それは非常に魅力的に見える。そして、主がそれを許しておられる。それは、主の御言葉を信仰によって信じ、目に「見える」ものを避ける者たちだけが、主の終わりの時の軍隊で生き残れるだけ十分強くなれるからだ。

  126.これら様々な患いのことで心配してはいけない。主は最後まであなたを切り抜けさせ、それらの患いはその目的を果たすだろう。主はそのすべてからあなたを救い出される。どうか、がっかりして落胆しないでくれ。主は愛する者を懲らしめる、そうだろう? スイートハート、これもすべて、あなたを謙遜な状態に保ち、砕くことの一部なんだ。ただ祈り続け、賛美し続け、御言葉にしがみつき続けなさい。挫折して、泣き、自分はもうお終いで、どうしようもない人間だと感じる時のことを気に病むのはやめなさい。

  127.何が大切なのだろう? 大切なのは、主に信頼することだ。心をつくして主に信頼せよ。自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道を導かれる。あなたの道を導いているのは、主だ。たとえそうは思えず、そう見えなくても、その小道はとても快適だ。その小道は、命、霊的な命に至らせる。あなたは正しい道にいる。それをわかってほしい。いいかい? 敵に脅かされてはいけない。敵はあなたを脅そうとしているが、それはやつが怯えているからだ。敵は自分の破滅が確実だと知っている。だからあなたがどう感じるか、また自分の状態をどう見るかを心配してはいけない。主に従い続けなさい。そうすればあなたはここからうまく切り抜ける。愛しているよ。(以上、ダッドからのメッセージ)

祈りとは…

  128.(ママ:)このGNの締めくくりに、祈りについての主の素晴らしいメッセージを載せます。ダッドはいつもこう言っていました。「愛と謙遜と祈りがすべての問題を解決する」と。圧倒されそうに感じているなら、他の人たちのために祈る時間を取ってみましょう。主はあなたの祈りに答えて彼らを助けるばかりか、あなたの荷を軽くし、物事を再び正しい見方で見られるようにして下さいます。祈りとは、すべての善いことを可能にする力を引き出すことです。試して下さい。

  129.(イエス:)祈りとは、困っている人に手を差し伸べることであり、救いを別とするなら最も尊い贈り物を与えることだ。祈りとは、あなたの時間やエネルギーや力を犠牲にして、霊の内でそれを他人に与えることだ。また、わたしの力に信頼し、奇跡を起こすわたしの能力に信仰を持つことだ。

  130.祈りとは、霊的な領域に生き、その領域ではその戦いに勝ったと信じると選択することだ。祈りとは、わたしの大いなる力を引き出し、必要を抱えた他の誰かにその力を向けることだ。また、人間の手にはその仕事は大きすぎると認め、関係者たちの力だけではできないと知った時に、わたしが介入して仕事を成し遂げるよう求めることだ。

  131.祈りとは、プライド、肉的な思いを捨て、肉の領域を背後に捨て去ることだ。祈りとは、霊の内で戦うことだ。祈りとは、大切な仕事やすべきことを脇に置き、他の多くの人たちの人生に違いをもたらす極めて大切なことに投資することだ。

  132.祈りとは、わたしの力と全知全能に信頼すると表明する最も大いなる方法だ。わたしが全能であり、状況を劇的に改めるか、あるいは変えると認めることだ。また、天の大いなる貯蔵庫に力を送り込み、それから、わたしの命令によってその力が解き放たれるのを見ることだ。

  133.祈りとは、わたしと他の人たちの前に身を低くし、自分にできないことをわたしがするよう頼むことだ。祈りとは、自分のこと、自分自身の問題、戦いや患い、障害を忘れ、他の人たちのことを思いやることだ。祈りとは、「主よ、私にはできません、でもあなたにはできます!」と言い、それからわたしが不可能を可能にするのを見ることだ。

  134.祈りとは、ひざまずいてわたしに懇願することだ。あなたが祈っている人や状況以外は何も考えないことだ。的を絞り、狙うことだ。祈りとは、無私無欲の行いだが、天国ではすぐにボーナスが出る。そして、あなたのために、現在のための余分の祝福と、永遠に渡る報酬が予約される。

  135.祈りとは、わが花嫁を攻撃し、邪魔し、傷つけようとする敵とその悪鬼すべてを打ち負かすべく戦うことだ。また、鍵を振るい、用いるための手段だ。また、宇宙最大の力を作動させ、天と地とを直結させるリンクをつくり出すための手段でもある。

  136.祈りとは、犠牲的で骨が折れ、それでいて感謝されないことの多い仕事だ。だが一つの祈りも決して無駄にならない。愛する人たちよ、永遠の報酬を刈り取る、あなたの最大の務めと召命にすべてを捧げてくれて、ありがとう。(以上、イエスからのメッセージ)

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